こんにちは、タロすけです。
プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
まずは簡単に自己紹介しますね。
自己紹介
- 年齢:5〇歳
- 住んでる場所:大阪
- 家族:嫁一人、息子一人(令和3年生まれ)
- 性格:のんびり屋、少し適当
- 趣味:ゲーム、オーディオブックを聴く
- 仕事:普通のサラリーマン(機械を点検したり修理したり)
- 将来の夢:自由になること
なんとこのプロフィールを書いているちょっと前に息子が生まれました。
初めて息子を抱いた時は感動と同時になにか不思議な感覚でしたよ。
本来は孫でもおかしくない年代ですが、これからお父ちゃん頑張るしかありません。
それではこんなおっさんの経歴を見たい方は下へ進んでください。
タロすけの経歴
写真は本人とは無関係です。
誕生→中学生
東京の某所で誕生。そこから親の都合で3県移住し、小学6年の時に大阪に引っ越してから長い大阪での学生生活が始まりました。
子ども時代はふざけるのが好きで叫びまくって親にもかなり迷惑をかけていた記憶があります。
中学では野球部に所属し、チームがそこそこ強かったためかなりハードな練習の日々。
同級生の一人はPL学園に行って甲子園に出場してたなあ。
残念ながら自分はレギュラーにはなれませんでしたが、自分にとって野球部の厳しい練習はその後の人生にかなりよい影響があったように思います。
勉強はというと、中一の初めのテストで風を引いてしまいボロクソの結果に。
なんで勉強なんかしないといかんのじゃ?と授業中もふざけてパタリロの踊りを踊ったりしていました。
知ってるかなあ?ぱぱんがぱんて手を打った後に踊るやつ
自分以外にもこんなふざけた男子が数人いてけっこう楽しんではいたんです。
ところがうちのクラスの担任、副担任と体調を崩し、代わりに担任になったのがなんと怖い怖い野球部の監督。
その人が家庭訪問に来た時にこう言われました。
「お前、このままやとやばいぞ。真剣に勉強せんかい!」
人間、怖いと思う人に叱られると素直になっちゃうものです。
運がいいのか悪いのか、2年の担任もその先生に当たってしまい、勉強せざるを得ない状況になりました。
でもそのおかげでちょっとづつ成績も上がり、そのままだと高校すら行けなかった自分がなんとか普通レベルの学校に受かることができました。
ただ、性格はすっかりおとなしくなってしまい、言いたいことも言わないようになってきたのです。
3年に上がった時、1年で同じクラスだった女子2人にこう言われました。
「タロすけ君えらいおとなしなったなあ。昔すごかったんやで。」
今考えるとこの中学生活が人生の転機だったのかなとも思います。
高校生時代
ちょうど高校に入ったころ、悪魔の機械が流行りだします。
その名も「ファミコン」。
昔からゲームが大好きで、小学生時代は駄菓子屋に入り浸り、パックマンやラリーX、平安京エイリアンなどやりまくってました。
その頃はお小遣いなんかもらってなかったけどお金はどうしてたんだろう?お年玉をちょっとづつ使ってたのかな。
話を戻しますがそのファミコンなんですよ問題は。
中学時代に全くといっていいほどゲームをしてなかったこともあり、その反動でこの悪魔の機械が火に油を注ぐ形になってしまいました。
スーパーマリオ、ファミスタ、ボンバーマン、ファイアーエムブレム、チャレンジャー、ゼルダの伝説など数え切れないほどのソフトで遊びまくります。
その中でも一番ハマったのがご存じ「ドラクエ」。
最初はロールプレイングというものがどんなものか分からなかったので違和感がありましたがすぐに悟りました。
「こ、このゲームは今までのものと違う!」
これまでいろんなソフトで遊んできてハマったものは数多くありましたが、ナンバー1はなにかと聞かれたら「ドラクエ」
と答えるでしょう。
ドラクエはシステムもさることながらあの世界観がいいんでしょうなあ
といったわけで浪人生活へまっしぐらとなってしまいました。
大学生→社会人→30歳まで
浪人してなんとか受かったのも3流大学。
やっぱり俺ってアホみたい
大学時代は授業はそこそこにアルバイトと遊びに費やす日々。
人生の中で貴重な時間を与えられたにもかかわらず、将来の目標や自分がなにをしたいのかもわからないまま過ごしたことが後々後悔することになります。
というのも、就職活動も特にすることなく人の紹介で某機械メーカーに入社できたのはいいものの、そこからずっと悶々とした日々が続いたからです。
その会社は休みもあまりなく徹夜もしょっちゅうで、これが働くということか。と社会の厳しさを痛感させられました。
しかも頭の出来も上記の通りだったので仕事を覚えるのも遅い。
上司や先輩方にもだいぶ怒られました。
しかしこんな自分を大学まで行かせてくれた両親になんとか恩返しをしなければとがむしゃらに仕事をし、ちょっとづつですが仕送りもできるようになりました。
30歳手前で転職→体調不良
20代ぎりぎりで転職をすることになりますがそれが今の会社です。
今の会社は従業員が7名ほどの超零細企業で前の会社の下請けになります。
仕事内容はほぼ同じ。前の会社で積み上げたスキルはそのままいかせたため即戦力で会社に貢献できました。
しかし仕事内容は相変わらずハード。休みもそれほど取れず彼女も作らないまま40歳を超えてしまいます。
あるとき強烈なめまいをおこしてしまい、しばらく現場で立つこともできませんでした。
そんなことが数回あり病院にも行きましたが原因は分からず。
自分でネットや本などで調べてみるとどうやら首コリがひどくなるとそういった症状になるらしい。
少し仕事を休ませてもらい、ネットで評判の接骨院に通い始めたところ徐々に体調もよくなってなんとか会社に復帰することができました。
めまいや動悸がする人は首が原因かもしれませんよ
さて、体調がよくなったのはいいものの休んでいる期間に人生について考えました。
「このまま一人でいいのだろうか?」
といったわけで婚活というものをしてみようかと動き出します。
婚活→結婚→試練
婚活の中身を語りだすと本1冊ぐらいの長さになってしまう恐れがあるのでここでは省きますが、結果的に今の奥さんと出会って結婚することができました。
それから幸せいっぱいの日々が、と言いたいところですが仕事では長く勤めていた同僚が2人辞めてしまい、負担が一気にのしかかってきました。
うちのような零細企業はなかなか人が入ってきません。
数年前に社長が引っ張ってきた50歳近い人はプライドが高く、言うことを聞きません。しかも離婚しているため認知症の親の面倒も自分がみないといけないといってよく仕事途中で帰ってましたね。
親の面倒見るのは子の努めやでと医者から言われていたらしく、確かにその通りかもしれません。
しかし仕事仲間からすると迷惑この上ない。
結局その人はたいして仕事もしないまま給料が安いと文句だけ言って辞めていきました。
世の中いろんな人がいるよなあ
その後、もう一人の後輩も辞めていってしまい崖っぷちとなりました。
しかし自分がどれだけやれるか試せるいいチャンスと考え、前向きに頑張っていこうと思います。
さいごに
出来の悪いおっさんのプロフィールをここまで見て頂きありがとうございました。
オーディオブックを知ったのは30台半ばぐらいかな。当時はFebeという社名(今はaudiobook.jp)で本が聴けるというのがちょっとした衝撃で何冊か買って聴いてました。
その後、なんのきっかけかは忘れましたが株式会社エスエスアイが提供している速聴プログラムに出会い、実践していったところ人のしゃべる言葉がゆっくり聞こえるようになり、仕事もうまく回り始めた感じがします。
どうやら音声を早く聞いていると頭の回転が速くなるようだ。
しかしながらエスエスアイさんの商品はなにしろ高い!当時の自分は独身のうえ家賃も会社もち、しかも遊びにいく時間もなしということで貯金が有り余ってたから買えたわけで、普通の人には手が出ないでしょう。
ということで月額が書籍1冊分ほどで利用できるオーディオブックをおすすめする次第です。
ちなみにこのブログタイトルは「知識のクエスト」ですが、知識を増やすのが目的ではありません。
知識を得たうえで、頭を使い自己を高めていく。そして最終的に自己実現を目指す!というのがコンセプトです。
一緒に頑張っていきましょう!